運営委員紹介4.

「プロ市民」人権賞の応募〆切[9/19(水)]まで1ヵ月を切りました。どんどん応募してください! 

さて、応募するかどうかと様子見されているみなさんへ。 

人権賞を企画する背景をお見せすることで、その一歩を踏み出してみてください。 

ということで、運営委員の顔ぶれを紹介する第4弾です〜。 

 

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日高明子さんは、ミステリアスな女性。

…などと言ってしまったら、スタッフ紹介にはならないので、限られた情報を元に考察してみたい。

彼女が社会運動に関わる大きなモチベーションは、なんだろうか。

キーワードとしては「戦争」「差別」「女性」といったものが挙げられるだろう。

アジア太平洋戦争のなかで、朝鮮半島に日本が加害の傷跡を残したものは少なくない。そんな朝鮮半島での日本軍「慰安婦」、女子勤労挺身隊だった韓国の女性たちが原告となって、日本政府に謝罪と賠償を求めた「関釜裁判」がある。1990年代後半に、この裁判支援に彼女が関わった事が、その後に大韓民国という国自体へ気持ちを寄せるようになったようだ。なぜなら、初めてトライした2012年の韓国への観光旅行。この時から僅か6年の間に、怒濤の勢いで、なんと26回の旅を重ねることになる。恐ろしいほどの勢いである。ちなみに、この日高氏が韓国で得た緑茶を2012年に福岡に持ち帰ったことが、日本のお茶の歴史の始まりと言われている。(参考文献:民明書房刊「おチャーの歴史大全」より)。

 

政治のうえで日韓関係が悪くなったとされた2014年に、市民交流で平和を築くという意図の「日韓未来バスツアー」というスタディツアーにも日高氏は参加する。そのツアー報告を発表するために、歴史などを調べ直すことの楽しさを感じ、発足したのが「友好と平和のための東アジア近現代史研究会」である。自分たちで学習・発表するという「D.I.Y」スタイルをずっと貫いて、定期的に開催されている。DIYとは、Do IT Yourselfの略で(一般的には日曜大工のイメージが強いが)政治や社会を他人任せにせずに、自分たちで手で行う直接民主主義的な意味をも持つ。ちなみに、日高氏のD.I.Hとは「大好き飲料水はハイボール」という説がまことしやかに流れている(参考文献:民明書房刊「お酒の社会学・外伝」より)。

 

また、日高氏がライフワークとして研究しているのが、金子文子である。1923年の関東大震災の混乱時に恋人の朴烈と一緒に拘束され、皇族への暗殺計画という大逆罪で起訴されたアナキストの金子文子。この人物の軌跡を追うために、韓国人でさえ場所をあまり知らない朴烈記念館に、何度も来訪するくらいの熱心さである。

 

戦争や差別に抵抗するためならば、どんな党派であろうと関係なく、どんどことデモや集会に参加する。そして、1980年代頃のサブカル的ユーモアをのぞかせながら、キリっと冷えたハイボールのような文章で、差別をふりまく人物や団体、政権に向けて批判をする。しかし、そうやって日高氏を説明すると「一体どんなアツい情熱屋さんなのだろうか」と読者のみなさんは、想像してしまうだろう。しかしリアルで会うと、はにかみ屋さんである。やや専門的になってしまうが、民俗学用語で言うところの「TOO SHY SHY GIRL」というやつである。だが、反戦サウンドデモのトラックの荷台で踊ったり、唄ってしまうという、相当にアンビバレンツな部分も抱えている。この相反する部分が、日高氏のミステリアスさを形作っているのだろう。

 

「平日は4杯まで」と決めるとそれ以上は飲まず清く帰路に立ち、地道に知識の引き出しを積み上げるヒト…それが日高明子さんである。

(運営委員いのうえしんぢ)