米澤豪さんのスピーチ

 今回表彰式の会場に使わせていただいてる、グリシェンカフェに最初訪れたのは僕が門司港に移住した4年前だったと思います。グリシェンカフェは何のお店だかわからない、という人がいるそうですが、僕は表に書いてある看板をよく読み、焼きカレーが食べられる店だとわかったので入りました。

 それから一年ぐらい足が遠のいてしまいましたが、3年前にインフォショップ大都会門司港をオープンした時に、ショップカードの交換をさせていただいたことがきっかけで、何度か飲みに来ることになりました。

 グリシェンさんのご好意で毎度振舞ってくれる美味しい鍋やビールを楽しみながら、門司港生まれ門司港育ちのマスターが話してくれる、70年代の門司港話は、爆笑の連続でした。

 たとえば、栄町銀天街の近くにあった謎のレコード屋の話、ヒッピーが入り浸っていたパゴダの話、パゴダに居た謎の大僧正の話。寅さんみたいな流れ者が小学生相手に老松公園で謎の商売をしていた話などなど、活気があった時代の門司港を教えてくれました。

 フォービギナーズシリーズの大杉栄の本をマスターが持っていることからも、わかるように、とても親近感があるこの場所で、このような式を開催することになり、とても幸福に思います。

 でも残念なことではありますが、今日は活気があった時代の門司港話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。

 皆さんもご存知のように、今年も「安倍政権」の不祥事をめぐる報道が多かったと思います。閣僚や与党幹部の失言。そして首相主催の「桜を見る会」の問題が連日大きく報道されました。

 しかし国会は疑惑を残したまま閉幕をし、この問題は今後も時々報道されると思いますが、日々忙しく働いてる人々の目に映ることもなく、ニュースの片隅に追いやられ、自然と立ち消えになるでしょう。

 日本人は政治や社会に無関心だと言われます。その証拠に今年の参院選は投票率が24年ぶりに50%を割りました。

 世界的に見れば日本の投票率は特別低くもないらしいのですが、世代間の投票率の格差で見るとイギリスに次いで世界で二番目に格差が広がっています。

 つまり少子高齢化の社会では高齢者で国政が左右される「シルバー民主主義」と言われる世代間の不公平が拡している傾向にあります。

 少数派である若者達は、自分たちの意見が政治に反映されることはないと、初めからあきらめ、選挙があっても行かない若者が増え続けるため、今後選挙率が上がることは難しいと言われてます。

 そのような状況の中で、今後我々は国や社会に対してどのようなアクションを起こせば良いのでしょうか?

 私が3年前にオープンしたインフォショップは、直訳すると「情報屋」と言います。発祥はイギリスなのかアメリカなのかドイツなのか、はっきりしませんが、どうやらコミュニティーセンターの一角にあった情報コーナーから発展したようです。

 海外のコミュニーセンターの情報コーナーは、カルチャー情報。スポーツクラブやボランティアの募集。そして宗教や政治の宣伝ビラも置いてあります。

 日本には昔から公民館と言う名の公共施設があります。そこは海外のコミュニティーセンターと同じ役割でその地域に住む人たちの交流の場所として機能してると思いますが、海外と大きく違うのは、宗教や政治の宣伝ビラは御法度になってます。

 なぜなのでしょうか?

 どうやら日本人は自分の頭で判断して、自分一人で勝手に行動することが不得意なのかもしれません。つまり、周りにすぐ影響され、徒党を組むことを好み、はみ出すことを恐れ、熱しやく冷めやすい、という民族性を、行政が知っているので、意識的に、無意識的にそのようなビラを置くのを避けているのかもしれません。

 インフォショップはそのような日本の窮屈な状況から生まれたわけではないのですが、海外でもコミュニティーセンターの一角だけの情報では満足できない人たちが、もっと自由な情報を広めたくて立ち上げたのでしょう。

 その情報は、国や宗教に左右されない生き方や、周りの目を気にしないで、私は私自身を生きた人達の情報です。

 僕が語っているのは、具体的に言えば 「アナキズム」のことです。

 アナキズムは世代によってだいぶ印象が違うと思います。団塊世代は爆弾を投げた、やばいやつらという印象を持ち、バンドブーム世代はパンクロッカーのような破天荒なやつらという印象を持ってると思います。

 確かに世界的に見てもアナキストは昔爆弾を投げたり、破天荒な生き方をした人もいます。しかし新聞の見出しのような部分だけを見てしまうと「私は私自身を生きた」アナキスト達を理会することはできません。

 近年、アナキストを題材にした本が出版されたり、映画や演劇が公開されましたが、今の時代、アナキズムは人々にどのように受け入れられてるのでしょうか?

 大都会門司港は今年のゴールデンウィークに「アナキズム展覧会」を開催しました。

 展覧会の内容は古今東西に実在したアナキストたちの本と、静岡にあるアナキズム文献センターからお借りした貴重な文献を展示しました。

 門司港は観光地なのでゴールデンウィークはいつもより人が多く訪れ、若い女性がカフェ巡りの途中でお店に入ることもありましたが、本に興味を示す人は、ほんの一握りでした。

 つまりアナキズムだろうがなんだろうが、主義主張が強い本を避けたくなる気持ちや、嫌悪感は世代を問わず根強いのでしょう。

 僕は20代前半、三つ上の兄貴と関東の茨城に一緒に住んでました。たまの休日に兄貴と水戸駅前を歩いてると、反原発をアピールしてる団体が忌野清志郎の「カバーズ」の歌を爆音で流してました。僕はその音楽につられ反原発団体に近づくと、兄貴が大声で僕の名を呼び、その団体に近づくのを止めました。

 なぜでしょうか?

 理由は簡単です。それは「安定」です。

 兄貴としては、たまの休日、ショッピングや散歩を楽しんでいるのに、拡声器から流れる主義主張が強い声に、その「楽しい休日という安定」が壊されてしまうことに嫌悪感を覚えたのでしょう。

 先ほど日本の選挙率が50パーセントを割り、今後選挙率が下がる話をしました。しかし安倍内閣の支持率は下がるどころか、安定しているそうです。

 首相や閣僚の不祥事が発覚すれば、マスコミは連日ニュースに取り上げ、政権支持率は下がるはずですが、特に大きな社会変革を望んでいない多くの国民が、安定を求め、安倍政権を積極的に、消極的に支えてると思います。

 元たまのベーシストで滝本晃司さんの歌の歌詞で「自由はせめて不安がいい」と言う言葉があります。どうやら自由と安定は相容れない部分があるのでしょう。

 僕が3年前にオープンした大都会門司港は運営的には自由ですが、恥ずかしながら経営的には安定してません。「こんな商売でやってけるの?」とよくお客さんに質問されます。

 儲かる儲からないはさておき、こんな商売で何とかやっていけるなら、僕も、私も、面白そうだから何かお店をやりたい!と、手が上がっても良いはずですが、残念ながら、そこまで積極的な話は聞きません。

 それはつまり「自由な不安定」よりも「不自由な安定」を求める人が多くなっているのでしょう。

 もしこのまま「不自由な安定」という大きな力に従ってしまったら、我々の文化や生活は、とても退屈なものになり、どこに行っても同じ風景、どこにいっても同じ文化が、大きな力によって与えられ、つまらない時代になってしまうのではないのでしょうか?

 今夜ここに集まっている人たちは、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化や生活を護ってきたことを僕は知っています。

 我々は大きな力によって与えられる「不自由な安定」というつまらない時代の流れに飲み込まれてはなりません。

 安定という心休まる布団を蹴飛ばし、重いドアを開け、自由で不安定な強い風の中を、我々は力強い足取りで前に進まなくてはいけません。

 人はいつか死にます。しかし志はいつまでも受け継がれます。

 明治時代の無政府主義者・幸徳秋水が絞首台に登る前、筆が乱れることもなく、堂々とした絶筆文を残しました。

 

「ここたる成敗、しばらく論ずるのやめよ

千古、ただまさに、意気を存すべし。

是の如くして生き、是の如く死す。

罪人又覚ゆ、布衣(ほい)の尊きを。」

 

 現代文に直しますと、

 

「こまごまとした成功失敗について今あげつらうのはやめよう。

人生の意気を捨てぬことこそ、古今を通じて大切なのだ。

このように私は生きて来て、このように死んでいくが、罪人になって、あらためて無官の平民の尊さを覚えることができた。」

 

 まさに古今を通じて大切なことは「人生への意気を捨てぬこと」ではないでしょうか。われわれはまずその力を信じる者でなくてはなりません。

 最後になりますが、今回頂く賞金の一部を福岡ペシャワール会の同志に、あと冬の福岡の寒空の中「やだね戦争!反安倍政権アクション」を起こしてる同志に寄付させていただきたいと思います。このような機会を与えてくださった、市民活動家の皆さんに深く感謝します。そして先週アフガニスタンで、銃弾に倒れた福岡出身の中村哲さんに深い哀悼の意を表したいと思います。

 ありがとうございました。

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コメント: 2
  • #1

    さのまきこ (金曜日, 20 12月 2019 22:06)

    諦めて生きているひとが、沢山。
    規則正しくなんて言葉を、姪っ子から聞いた時はゾッとしました。
    機械化して不自由な安定を選んで、抗菌して、30年ローンを組んで、がんじがらめが当たり前。

    これじゃいかんね。
    なにか、本当の意味で、生きている実感。感動。感謝。
    これを私は発信し続けていきます。
    米澤さん、おめでとうございます。
    また、お会いしましょう。

  • #2

    人権賞運営委員いのうえしんぢ (金曜日, 20 12月 2019 23:14)

    コメントをわざわざありがとうございます。

    自由というのを現実化するには、いろいろ難しい部分はありすね。うまくいくかわからないけど、その姿勢だけは忘れたくはありませんね。

    それでは、今後もこの「プロ市民」人権賞をあたたかく見守ってください。よろしくお願いしますー。